きまぐれ日記

思ったことをつらつらと。

担当制度とツイッターと。

担当制度について考えてた。
時々やっぱり担当ってなんだ、なんでこんなに「○○担であること」を意識してしまうんだろう、そもそもその言葉に縛られることがあるのは何故だろうかと。
V6ゆるオタだった時は好きに飽きてたし、俳優とかサッカーとかに自由に現を抜かしてたけど、がっつりジャニオタになってから、というかツイッターを始めてから?なんか担当にすごい縛られるようになった気がする。それは多分どうしても人の目が気になってしまうから。自分自身じゃなく、周りの人からするとジャニオタであることや○○担であることのほうが意味のあることに思えてしまって、それが欠けた自分に意味があるのか…?と不安になったりして時々ツイッターをやめたくなる。ツイッターをやめた方が自由に好きなだけ好きなものを好きで居れるような気がして。でも結局寂しくて、やめられない。孤独と自由は抱き合わせとは上手いこと言ったな!ストレンジカメレオン作詞したひと!

ツイッターがある限り、きっと担当制度に縛られるし、DDですから…とどんなに前置きしてもやりたい放題とはいかないと思う。鍵とかは違うかもしれないけど、公開垢でオープンに好きなだけ好きなものを言いたい放題っていうのはちょっと違うんじゃねぇのかなと思う時があって。基本的に私は見ず知らずのやつ(他担)に自分の担当のことを分かったように褒められるのも貶されるのもあんまり好きではなくて。それがその人にとっても担当であるのならば全然良いのだけど、いっちょ噛みして分かったように言われたくないというか…語りたいなら本気で考えてほしいし、本気で考えるなら複数名のことは無理だと思うし…。そこでやっぱり担当の重さを知るというか。軽いツイートにさえ引っかかりを感じた時にツイッターと担当制度に縛られてる自分を感じる。

ツイッターはあまりにも人の目に触れやすい。そこが良くもあるし悪くもある。大抵のことをどうでもいいと思うこと大事。でも周りが全く見えてない、自分しか見えてない何の得があるかわからないツイートは苦手。自己表現することも大事やし、悩みを吐き出すのも大事。でもやっぱりこれは誰かと繋がってるツールだってことを、簡単にひとを笑わせたりも出来るけど傷付けたりも出来るってことを忘れたくないなと思った。
また気が向いたらやっぱりツイッターはやめようかしらと思う。受け流せないことでいっぱいいっぱいになったら。のんたのシステム上の問題。